今回は埼玉県にお住まいに方よりご依頼を頂きました。
1950年代の映画パンフレットが約70冊です。
近年では様々なサイズのパンフレットがありますが、1960年代から多く見るのはA4サイズです。
それよりも前の物、1950年代では一回り小さいB5サイズが主流でした。
今からだと約60~70年前(!)にもなりますのでかなり古いものになります。
この辺りの年代では希少な物やプレミアタイトルが多いのも特徴です。
例えばオードリー・ヘプバーンの公開当時初版のものやマリリン・モンローの出演作品などは高価買取となりますし、
洋画、邦画問わず当時の特撮、SF映画はプレミア価格になってるものがほとんどです。
1冊で1万円を超えるものも珍しくない為、古いから、書き込みがあるからといって捨ててしまわぬように注意したいです。
マリリン・モンローってどんな映画に出ていた?そもそもどんな人だった?
さて、先ほど名前を挙げたオードリー・ヘプバーンとマリリン・モンロー、
どちらも世界的に有名な名女優ですが、オードリー・ヘプバーンは”永遠の妖精”
“ファッションアイコン”などの呼び名があり、「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」
「ティファニーで朝食を」などの出演作品も知られていますが、対してマリリン・モンローは
「ワーオ」という有名なシーンやセクシーなほくろなどの印象あるものの、
どのような作品に出演していたか、あまり知らない人も多いのではないでしょうか。
では本題に入る前にここでひとつ問いかけです!
マリリン・モンローの”ほくろ”皆さんはどこにあると記憶していますか?
実はこれには複数正解があります。
マリリンが注目された1953年のスリラー映画「ナイアガラ」では彼女の左頬の位置に。
アメリカコメディ映画ベスト100で1位を獲った「お熱いのがお好き」では口元の位置に。
しかし、デビュー当時や1953年のロマンスコメディ映画「百万長者と結婚する方法」や、
あの白いスカートで有名な「七年目の浮気」ではほくろがないんです。
つまりマリリン・モンローのほくろは実は作られたものだったのではないか?
という説が噂されているのです。
そして、これと合わせてマリリンの女優としての歩みを見てみると、ちょっと面白い背景が見えきます。
“みんなの恋人”や“セックス・シンボル”が人々のイメージとなり、”ちょっとお馬鹿だけどかわいくて魅力溢れる女性”
として何本もの映画に出演し、同じような役柄を演じ続けたマリリンですが、
1955年の離婚を機に脱セックスシンボルをするため改めて演技の勉強をしたり、
「キャリアって素晴らしい。でも、寒い夜にそれに寄り添うことはできないわ」などをはじめとする
ちょっと考えさせられる名言を多く残すなど、映画の役柄からはちょっと想像できないような知的な一面があります。
また、マリリンは”みんなの恋人”というイメージを保つために、私生活やファン対応でもキャラクターを演じる
努力をしていたとも言われています。しかし、実際のマリリンは読書を趣味とし多くの書物を読み、
自分をより美しく魅せるために人体解剖学の勉強までしてトレーニングを重ねたというお話も。
マリリンの有名な「シャネルの5番よ」という名言も当時求められたキャラクターを
より的確に表すために発した一言…という見方をしてみたら、何だかちょっと彼女を見る目も変わってきませんか?
当時の世間の地味なファッションや、映画のヘイズ・コード(倫理規定と呼ばれる制限のようなもの)とは
真逆の存在として輝き続けたマリリン・モンロー。もしかしたら、彼女のキャラクターは時代が生んだ
アンチテーゼなのかもしれませんね。
古いものだけど、価値があるか分からない…という物はぜひ三日月堂まで!
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